岡山後楽園

日本三名園のひとつ。
1687年(貞享4年)に岡山藩主・池田綱政が自らの安らぎの場として岡山郡の代官・津田永忠に命じて造らせた庭園。総面積133000平方メートル。
市内を流れる旭川をはさみ、岡山城の対岸の中洲に位置する。賓客をもてなすために造られた延養亭(えんようてい)を中心とした池泉回遊式庭園。
城の背景にあることから『御後園』と呼んでいたが明治に後楽園と改めた。昭和の空襲により園内の建造物が焼失したが、およそ20年の年月をかけ往時の姿を取り戻した。

公園の芝生

写真左側に位置する建物が延養亭。後楽園では芝生面積約18500㎡と芝を大量に使った庭で、明るく広々とした印象をうける

延養亭(えんようてい)

藩主の居間。園内外の景観が一望できる様に作られている。後楽園の中心的建物。

能舞台

藩主の池田綱政は優れた舞手であり、能装束の名品が数多く残されている。

御船入跡(おふないりあと)

城から藩主が舟で渡って来る時の舟着場。ここから出入できるのは藩主の特別な許可を得た者のみ。

流店(りゅうてん)

中央に水路、石を6個配置した珍しい建物。
藩主が庭を廻る際や、来賓を招いた時の休憩所として使われていた。戦災を免れた建物。

花菖蒲畑

6月上旬になると白や紫の菖蒲の花が咲く。

鶴舎(たんちょう)

築庭当時から鶴が飼育されていたが、戦後に絶滅。その後、岡山の旧制第六高等学校で勉学経験のある中国科学院院長の郭沫若氏からタンチョウ2羽が送られた。

ページの先頭へ